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【日本初の水道】水道の歴史~日本編~

水道の歴史日本編ブログカバー

前回の記事では、水道の歴史~世界編~について、ご紹介させていただきました。 

では、私達が住む日本の水道にはどのような歴史があるのか、気になるという方も少なくないと思います。 

そこで今回は、日本の水道の歴史についてご紹介していきたいと思います。

 

目次
  • 日本の水道が始まったのは江戸時代 
    • 多摩川上水の完成 
    • 江戸時代の水道のその後の変化
  • 明治時代に大幅な改革が行われる 
  • まとめ

本の水道が始まったのは江戸時代

小石川後楽園イメージ

日本の水道の歴史は、江戸時代までさかのぼります。

江戸時代以前の日本では、川や井戸の水を汲んで生活用水として利用していました。

しかしそうした方法では水質に問題があった他、江戸時代になって人口が増加すると水量が足りず水不足に陥ってしまいました。

そこで江戸幕府を開いた徳川家康は、1590年に神田・日本橋方面に給水するための小石川上水を作りました。これが日本の水道の始まりと言われています。

 

 

01多摩川上水の完成 

 

江戸幕府はその後も発展を続け、人口も増加していきました。

そうなると当然、必要となる水量も増えていく一方です。

小石川上水は改良が加えられ神田上水となり、それとは別に赤坂にある溜め池を利用した溜池上水も作られましたが、水の供給は追いつきません。

そこで幕府は多摩川の水を江戸に引くという、壮大な計画を実行に移します。

 

工事は1653年に開始され、わずか8か月で羽村取水口から四谷大木戸までの水路が完成。旧小石川上水は多摩川上水となりました。

多摩川上水は水源から水門まで約43キロメートルの距離があるにも関わらず、その高低差はわずか92メートルとなっています。

ポンプなどを使用しない土地の作りを活かした自然流下方式には、当時の人々の技術と知識の高さがあらわれています。

 

 

02江戸時代の水道のその後の変化 

 

多摩川上水が完成した後も水道の進化は続いていきます。

多摩川上水完成の翌年である1654年には、地下に配水菅が設置されて四谷・麹町・赤坂の台地や芝・京橋方面に至る南西部一帯に給水が始まりました。

 

また、1657年には幕府の大半が焼けてしまった大火災である「明暦の大火」が起こりましたが、この復興に作業により江戸の土地がさらに拡大。それに伴って新たな水道が必要となり、1658年~1696年にかけて中川を水源とする亀有上水、玉川上水を分水して水源とした青山上水・三田上水・千川上水の4つ作られました。

 

ただし、1722年には神田上水と多摩川上水以外の水道は廃止されています。理由としては江戸の大火災の原因が水道にあることや、技術の向上で余分な水道が必要なくなったこと、新田の田用水へ配慮をするためなどの説があります。

 

治時代に大幅な改革が行われる

明治時代水道イメージ

明治時代になると欧米に倣った都市作りが進み、それに伴って水道にも大きな変化が起こりました。

 

当初、水道技術は鉄道交通・建築などの分野に比べて発展が遅れていましたが、水路の腐食による水質の悪化や原水の沈殿、濾過・浄水技術がないため水が汚れ、汚水が上水に流入してしまうなどの問題が起こるようになりました。

また、衛生環境が悪化してコレラが大流行してしまい、多くの死者が出てしまいました。こうした諸問題を解決するために急速に近代水道の建設が進められていきます。

 

1887年には神奈川県横浜市に野毛山浄水場が完成し、1898年には東京の淀橋浄水場、1912年には京都の蹴上浄水場が完成しました。

 

その後、こうした近代水道の技術は都市部を中心に急速に広がっていき、今日の水道の基礎となっています。

 

 

とめ 水道の歴史は紀元前から

 

今回は水道の歴史~日本編~について、ご紹介させていただきました。 

 

日本の水道が本格的に始まったのは江戸時代の頃からなので、世界の水道の歴史に比べると後発組と言えるかもしれません。 

ただし、現代では日本の水道技術は世界的にも高ランクへと発展を遂げ、世界でも有数の「水道水をそのまま飲める国」となっています。これはとても誇らしいことですね! 

 

様々な水道設備工事を担うトヨタビルサービスも、高品質・高技術をモットーに、成長を重ねてまいります!